2007年01月19日

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡のつまみの復元

IMG_8855tu.JPG つまみの部分の復元に際し、白木原氏の証言を元に円形でなく、楕円形にしたとのこと。
 
 注意して見て下さい。

 復元に際して、橿原考古学研究所にも足を運び樋口隆康所長にも面会してきたそうです。彼は日田に縁のある人です。


 デジタル映像での全面復元が出来ないかなと思います。

 2009年12月4日に補記・・・・・

 このブログを見た方が、見事にデジタル復元を完成させました。(感謝・感謝です。)・・・http://www.netpia.jp/history/kinginsakugan_shuryumon_tekkyo-restoration_image-Japanese.htm 素晴らしい金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の復元です。どのような人物が、この金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を手していたのでしょうか?

 江戸時代の「森春樹」が、日田市上野町の鏡坂で、このような歌を詠んで石碑にしています。

 景行天皇が土蜘蛛を征伐して、日田の久津媛(比佐津媛)に会いに来た際に、この鏡坂に立って「ここからの眺めは、まるで鏡のようだ」とのことから、鏡坂の名づけたとありますが、果たしてそうでしょうか?

 「すめらぎの いむきたたしく このさかに かくるかがみの なこそ くちせぬ」

 素晴らしい金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、はるかに銅鏡を凌ぐものです。これを見た古代の人は、口から口へ語り継いだのでは、・・・・  景行天皇も金銀錯嵌珠龍文鉄鏡のことを知って、この日田の地を訪れたのでしょう。景行天皇に会ったとき、比佐津媛は、人の姿となりて・・・とあります。
 
 そして、時代は変わっても、この日田の地に隠された金銀錯嵌珠龍文鉄鏡のことは、江戸時代まで語り継がれ、森春樹が歌に詠んだのでは、・・・・すめらぎの いむきたたしく このさかに かくるかがみの なこそ くちせぬ・・・。

 日田の文人は、岩井の石人についても触れています。また、後醍醐天皇に縁の勅願寺、「岳林寺」がある日田の地です。お寺の裏山には、200以上の横穴古墳が整然と並び、その上の台地には、吹上遺跡があります。弥生時代中期後半の青銅・鉄製武具類やゴホウラ製貝腕輪などを副葬した甕棺・木棺墓群は、日田地域に君臨した王族の存在を物語っています。そして、この台地を吹上台地、その南側を光岡(てるおか)と呼んでいます。

 ダンワラ古墳・・・http://viswiki.com/ja/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%AF%E3%83%A9%E5%8F%A4%E5%A2%B3

 
http://www.pref.nara.jp/koho/kenseidayori2/tayori/t2002/tayori1407/yamatojie1407.htm


posted by kawasaki at 17:21 | TrackBack(0) | 07-2) 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡

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