2007年07月15日

台風4号の強風、亀山公園 2007.7.14



 亀山公園の木々に、台風4号の強風が吹いています。
 この亀山公園は、別名日の隈山とも呼ばれており、他に月隈山、星隈山とも呼ばれてる丘が市内にあります。
 この三つの隈山があることで、三隈の名前が川につけられ三隈川となりました。

 この三つの隈山は、日田が湖だった頃、島として湖に浮かんでいました。

 日田の神代・古代


 神話では、「湖であった日田盆地に大鷹が東から飛んできて湖水に羽を浸し、羽ばたき、旭日の中を北

へ去り、すれば湖水は轟々と抜けて干潟となった。そして日隈、月隈、星隈の三丘が現れた。」という。

 小さい頃の話で、大鷹は、金の大鷹と聞いていました。金の大鷹とは、当時の先進技術集団、稲作と土木技術を持った人々。旭日の中を北へとなると北九州、東となると瀬戸内へ。


 「旧事本紀」国造本紀に古代ヒタにおいての国造は、「成務天皇の時代に葛城国造同祖、鳥羽足尼(宿禰)を定

めた。」とあり、実質の都市としての日田歴史はここからとされる。ただし、諸説が唱えられ真意は不明。


止波(鳥羽)宿禰は西暦470年以降古墳時代後期に靱編連(ユギアミノムラジ)現在の日田市刃連町あたりに会

所宮(現在の会所山久津媛神社周辺)とよばれた屋敷に居住し村人に農業などを指南した偉人として「豊日志」に

記されている。

 古墳時代からの出土物で有名なのが金銀錯嵌珠龍文鉄鏡、金錯鉄帯鉤で、靱編連(ユギアミノムラジ)現在の日田市刃連町あたりに会所宮(現在の会所山久津媛神社周辺)の近くから発見されています。

 日田の、日の隈、月隈、日の隈のいずれも古代の遺跡が残っており、日の隈から出土された鏡は、日田祇園山鉾会館に展示されています。

                   IMG_5183mm.JPG
 日の隈神社 平縁細線式獣帯鏡

 日の隈神社には、西郷隆盛の書が残っています。

 日田県の初代県知事は、松方正義です。どうしてでしょうか。彼は、初代の日本銀行総裁であり、大蔵大臣になり金解禁をやります。
 井上準之助は、日田出身で大蔵大臣になり金解禁をやり、二人とも暗殺されます。

IMG_5185mm.JPG
 日田金(かね)と呼ばれた日田の掛屋の財産は、何処に消えたのでしょう  

か。明治以降、古代の時代から九州の重要な地であった日田のまちは、

歴史から消滅します。









posted by kawasaki at 22:05 | 福岡 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 04) 真実は何処に
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